2008年08月04日

手話講習会。

聴覚障害の人たちが戦争の時も情報から遠ざけられて生きてきたことの
苦しみの大きさにはっとしました。
そういうことは今の普通の暮らしの中でも起こることで、
健聴者は知らず知らずのうちにしているのではないでしょうか。

50音の指文字は、まだなめらかに出てこないし読み取りがなかなか難しい。。
手話ニュースでも、テロップと音声があった上で、やっと読み取れる単語がいくつかです。
こうしてみると、聴覚障害の人たちがいかによく物事を見ているか、いかに目からの情報量を太くしているかに驚かされる。

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そして日比谷でポニョ。


「おしまい」が出たときの劇場内の空気はなんともやりきれなかった。
ハウルで打ちのめされて今回も期待していた音については、
手書きであることで描写に間のようなものが生まれたり、
いろいろ見え方聞こえ方が変わってくるのだと思うが、
そこに音が踏み込んで行けてないような分離してしまっている感じがした。

何があったのかなー。
監督・作者が郷愁に潜り込んでしまったかのような、
誰かのために作られたかのような、
わたくしとしてはちょっとさみしい気持ちがしています。
宮崎さんのような人でも、このようなところにはまってしまうということなのか。
それは勝手な感想なのですが。

けれど、幼い頃の記憶のキラキラとした一瞬の残像や、照りつける日差しに揺れる夢のような、誰にでも共感できるようなイメージに溢れていたところは印象的でした。

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有楽町駅前の雰囲気がずいぶん変わっていました。
ゆっくりと夜のコーヒーを楽しんで、帰宅。


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