2006年11月24日
武蔵野美術大学でクリストフ・シャルルさんの大学院生の授業で、種子田とお話をしてきました。専門は映像や彫刻などさまざまですが、自分で音を作ったり、DJをしたり、パフォーマンスをしたりする方もいて、聴覚や身体といった視覚だけでない複合的な言語を模索しているようでした。今では、さまざまな便利で理論的なツールがあるけれど、しかし、そのインターフェースで空間を捉えてしまっている落とし穴に気付かなくてはならないと思います。便利は便利でOKですから全否定もせず、肝心の耳がココロが常に油断することなくその感覚を目覚めさせていたいのです。かといって、様式をも否定する気はありません。置き去りにされているものに気付き違う視点で効果的にあらわすことが、わたくしたちの醍醐味のひとつではないでしょうか。たとえば、スピーカが4本あっても、それがボーズだからボーズの音がするということができるのか、疑問を持つべきです。ちょっとした向きや高さ距離で、自分なりの音響空間を作り出すことができると考えた方が豊かだと、わたくしは思います。ある種のレトリックから解かれて、常にさまざまな局面において境界をあいまいでもかまわないから意識すること・認識することを、わたくしは心がけています。