2007年09月

2007年09月29日

ちょっと音程の感覚が、ドツボにはまっていますー。
あと、旋律の修飾的な部分の良し悪しが、わからない。。
このままヘンな癖がついてしまうのではないかと思うとコワイ。
聞く時間を増やしたい。


2007年09月27日

いかに視覚情報にがんじがらめになっているかを改めて実感した。

氾濫する記号に対応するだけでせいいっぱいの生活。
それらと無関係で生きることが許されない現代。
それ以外の音を聞こうとしたり、
何か現象を自分の内面とどのように結び付けていくか、
考える時間すら与えられないのなら。
目を閉じることも大切だと思った。

今日参加したワークショップでの体験は、
たったひとつの音で震わせることができるものが確かにあるということを
もう一度信じさせてくれた。

いやいや、前進あるのみ、です。

2007年09月24日

日本・インドネシア共和国国交50周年記念
「インドネシア更紗のすべて-伝統と融合の芸術」展


《ジャワ舞踊の会》第1回 出演
◎日時:2007年9月24日午後2時
◎於:町田市立博物館講堂
◎演奏と舞踊:カルティカ&クスモ
◎入場料:無料

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さまざまな地方の美しいバティックに囲まれて、
なんだかジャワのひとたちのおしゃべりがきこえてくるような
あたたかいコンサートでした。
思いがけずたくさんのお運びをいただき、
しかもみなさんとても熱心にご覧下さり楽しい時間でした。
少し見えづらいところもあったかもしれませんが、
展示室全体のやわらかな響きを楽しんでいただけたかと思います。

風に自然に揺れているバティックたちが、
まさに生活の中に使われている風景のようで、
自分も身近に大切に使っていきたいと感じました。


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そのあと夕方からは十六夜コンサートのリハーサル。
やっぱりちょっとお疲れ気味、という感じになっちゃいました。。
眠たい顔だったかも。。

自分に関しては、踊りの曲はなんとなくなじみ始めて、
全体の雰囲気や流れ方に対するバランスに悩んでいるかんじ。
やりすぎてもヘンだし、うまーくかるがる乗ってる風でだけど構造的(うまい言葉がみつからず?)な
・・いわゆる「粋」というかんじでしょうか。。

そして演奏だけの曲が。。。
あと少しの残された時間で、まだまだもがきたい。


それにしても本当に楽しいプログラムです!!
是非いらしてください。

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十六夜コンサート 其の六 ~小島夕季 ジャワ舞踊の夕べ~

◎プログラム:「ガンビヨン・ラングンクスモ」「ゴレ・ランバンサリ」
         「ラントヨ」「ガンビヨン・パレアノム」他

◎於:上野公園水上音楽堂(野外・屋根あり)JR上野駅徒歩5分
◎開演:午後4時半
◎チケット:前売り 3,000円/ ペア 5,500円(前売りのみ)
      当日 3,500円/ 70歳以上1,000円
      (※受付で年齢のわかるもの(保険証など)をご提示ください)
       /小・中学生1,000円/ 6歳未満無料(乳幼児のための母子室もございます)

◎問合せ・予約:十六夜コンサート事務局 048-472-7489


2007年09月20日

食べ物のお話なのですが。

むかーーーーし。
鶯谷の細い路地に坦々麺が衝撃的に美味しくて気に入っていたお店がありました。
ところがある日突然お店が閉じられてしまい、がっかりしたものです。
その後も、たまに思い出していたのですが、
ふとwebであのお店が移転したらしきものを発見!!
念願かなってあの坦々麺に再会してきました。

レトロなお店の雰囲気は相変わらずで、
少々値段が上がっている気がしましたが、
あの濃厚なゴマやスパイスや香草の香りのスープは健在でした。
こういう再会に感激するシアワセモノ。

駒込駅すぐ、六義園の門の向かいにある「小閣楼」というお店です。

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2007年09月13日

種子田のブログでも触れていますが、
オイリュトミスト松山由紀さんのドイツ公演のために、
松田弘之さんの能管の演奏を録音しました。
この楽器を録音することの難しさはどうしようもありませんが、
これまでの松山さん作品で生演奏されているビデオを拝見して、
(実際に舞台を拝見できなかったのが残念ですが)
その関係性をいくらかでも表すような音の姿在り様を探っていくのがポイントです。


録音機器のモニタを睨みつつヘッドフォンを通してじっと聴き入っていると、
ホールの音響とは別の何か気流のようなものがくっきりと感じられて、
その不思議な存在感とダイナミックな運動がとても気になっていました。
また、身体のエネルギーと響きのエネルギーとが思いがけない関係にあり、
何か効率の良い道具という、いわゆる楽器に対しての奇妙な思い違いを正された思いがしました。
その気流に集中していると、とてつもなく大きな濁流のごとき管に太ーい風が通っているイメージが浮かんで、とても気持ちが良かった。

録音が終わってから、いろいろお話を伺い、
その能管の由来やそれと対峙する松田さんの静かな様子に、
感じていたものひとつひとつが解明されていく気がしました。
音楽や楽器や演奏することや、またそれらを引き受け伝えていくこと、
そしてそれを広く分けていくこと、
そうして平たく自分が空になったところに、
本質的なものがただ在るのかもしれない。
それは我々の伝統に関してだけでなく、
新しい価値を生もうとすることにも、外部の文化・芸術に関わっていく時にも、
同様なのだと勇気付けられる気がした。

言葉は悪いけれど、「のろい」というのか。。
それを解いてしまったことへの反動をどう収めていくのか、
そしてそこからどこへ行くのか、考えてみたい。